東アジア思想・哲学研究教育プログラム
招聘研究者

Viren Murthy

経歴
1990 年B.A.(Philosophy, Lake Forest College)
1992 年M.A.(Comparative Philosophy, University of Hawaii at Manoa)
2006 年Postdoctoral Researcher, the Modern East Asian Research Center, Leiden University, Netherlands.
2007 年Ph.D.(History, University of Chicago)
2008 年~Present Assistant Professor, the Department of History, the University of Ottawa, Canada.

研究テーマ
近代平等観についての疑問
―章太炎と明治思潮をめぐって―

私は学習院大学で以下のテーマについて研究を行いたい。

章太炎は清末の重要な排満革命家であるが私が特に興味を持っているのが章の仏教思想である。
革命活動をしていた章は1903年に投獄され獄中に熱心に唯識仏教の古典を読んだ。
そして、1906年に日本へ亡命して、中国の革命派の民報雑誌の編者になり、
その雑誌に唯識仏教と革命の関係を示す論文を書いた。

この点に関しては最近、日本で優れた研究がもう出されている。
その中でも小林武氏の『章太炎と明治思潮:もう一つの近代』では
章太炎の仏教解釈は明治思潮を批判的に発展しているという先駆的な論点を示されている。


こうした最近の研究を踏まえつつ、
私は改めて、章太炎と明治思潮と二十世紀初頭の東アジアの近代について研究しようとしている。

具体的に言えば、私は井上円了、清沢満之のそれぞれの仏教解釈と
章太炎の在日に書かれた文章を比較する研究をしたい。

この三人は皆仏教を近代的に解釈するのだが、
彼らは特にドイツ観念論のある概念を持って、
仏教の古典を読んでいると考えられるのである。

三人の解釈はそれぞれの違いこそあれいずれも西洋な近代に抵抗しようとしている。
小林によるとこの反近代の傾向は明治末期の思潮と関係がある。
つまり、明治初期は啓蒙思想と文明開化というような思想が盛んになったが
その後資本主義的な近代の問題が明らかに見えて来た時に明治の思想家は
常に仏教を持って西洋の近代思想の概念を批判しようとしたのである。
例えば、清沢満之は仏教の平等観を持って、近代西洋の形式平等を批判した。
章太炎も仏教と荘子の『斉物論』を持って、西洋の近代の平等概念を批判して、
新しい可能性を探している。

私は学習院大学で特に明治と清末のそれぞれの時代文脈と
二十世紀初頭の世界的なコンテクストに清沢と章のそれぞれ平等観を
どのように位置づけるか
というテーマに扱いたい。
学習院大学の高柳信夫先生は清末の政治思想に興味深い研究を書かれたので
彼との議論のなかで、自分の研究を発展できるのではないかと思う。